有楽町ノスタルジア

銀座方面へと抜ける有楽町駅前は戦後の雰囲気が残っている場所だ。
せいぜい三階建てのそれほど高くない古びた建物が立ち並び、
パチンコ屋からラーメン屋まで色々な店がごちゃごちゃと並んでいる様子はとても21世紀の東京とは思えない。
お世辞にもきれいな街とは言えないが、そのごちゃごちゃ感がかえって時の流れを感じさせ、いい味を出している。


私はこの場所を歩くのが大好きだ。
銀座方面への行き帰りにただ通りすぎるだけなのだが、パチンコの音やラーメンの匂いを嗅ぎながら、ぼんやりと戦後のことを考えたり、コーヒー屋の明かりを見たりするのが好きだ。銀座は気取った街だから知らず知らずのうちに気が張ってしまうけれども、ここは何だかほっとする。家にいるようにくつろげる。

ここに再開発事業が始まると聞いて、いてもたってもいられずに歩き回った。
一部の区域は2005年の2月にはもう工事が始まるため、もうほとんどの店が閉店していた。
店の明かりも人気もない通りは、まるで死んだようだった。


今回再開発されるのは、有楽町マリオンから有楽町駅にまたがる部分だ
。歩行者が自由に歩ける空間や、ショッピング施設とビジネス施設が融合した、多分六本木ヒルズや丸ビルのようなビルが作られるらしい。
でも、似たような場所はここ何年かで都内だけでも各地にできている。
そういうビルは結局金と物欲しか生み出さない。そういうのはもう飽きたし、お腹一杯。

有楽町駅前を歩いていると、懐かしい感じがする。戦後の混乱の時代、高度経済成長期の活気、昭和40年ごろのアンニュイでアングラな感じ、そんな現在までの時代の感覚が、よみがえってくる。体の中に眠っている、まだ私が生まれてもいない時代の感覚が急に立ち上がってくる。街がなくなるということは、こういう懐かしさの感覚の糸すらも断ち切られてしまうことだ。それはかさぶたを無理に剥いでしまったような、鈍い痛みを感じる

「このお店は昭和24年から始めて僕も昭和30年からいるけれど、この建物自体はずっと変わっていないね。この辺の建物も変わってないですね。」と、有楽町駅前の通りにあるももや珈琲店のマスター・今野さんは話してくれた。
この東京のド真ん中で、よく戦後頃からの街並みが残ったものだと改めて驚く。



今野さんの話は続く。
「マリオンができる前は、日劇と朝日新聞社があったから、お客さんは朝日新聞の人が多かった。 朝から晩まで忙しかったですよ。」
日劇といえば映画や舞台、ミュージカルが上映された日本屈指の大劇場。この辺も随分華やかだったんだろう。
「この辺りはお酒も飲めるような料理屋が多かったですね。銀座に都電が通っていたし、都庁も有楽町にあって、この辺も人通りがあってずいぶん賑やかでしたよ。」都電が走っていた頃の銀座。今と全く違う姿が浮かんでくる。

「朝日新聞のほかにも、そごうの辺りには毎日新聞、今のプランタンには読売新聞があったんですよ。」何と大手新聞社が3社も有楽町にあったのだ!かつて有楽町は言論が生まれる街でもあった。しかし、なぜ今まで再開発されなかったのか、素朴な疑問がわく。
「この辺りは個人でお店をやっている人が多いから。なかなか話がまとまらなくてね。再開発の話は前からあったんだけどね。」

ももや珈琲店はかつて朝日新聞があった有楽町マリオンの向かいの建物の2階にある。
階段を一段ずつゆっくりと上っていくと、柔らかな電灯の光と古くて味のある内装のお店がある。肩の力が抜け、ホッとする和みの空間だ。
今とは全く違う有楽町の話を今野さんから聞きながら、少し酸味のある熱いコーヒーを飲む。かつてこの1杯で疲れを癒した朝日新聞の人も多かったんだろうな。

「今でも当時の朝日新聞の人が来てくれて、懐かしいね」
と今野さんは懐かしそうに話してくれた。
有楽町駅前は戦後からほとんど変わらなかった。だからこそ、有楽町のかつての姿を話してくれる証人がいる。そんな街でもあるのだ。

昔からあった建物が壊されるのは胸が痛む。昔からあるものがなくなればやっぱり淋しい。
でも、街の歴史はいつでも痛みや淋しさを道連れにして作られるものなのかもしれない。
私にできること。それは「懐かしむ」ことだ。新しくなった有楽町を私はそれなりに楽しく歩くと思う。
それでも立ち止まって、そこにかつてあった、街の手ざわりや街のにおいを懐かしく思い出そう。それが私にできることだ